中日ドラゴンズについて
中日ドラゴンズはセントラルリーグに所属している野球チームです。
愛知県名古屋市東区のナゴヤドームを本拠地としています。
1936年に新愛知新聞社を親会社として誕生しました。
当時の名前は名古屋軍。
戦時下の1942年に新愛知新聞社と名古屋新聞社が統合して中部日本新聞社が発足しましたが、合併に伴う人件費見直しなどで球団経営見直しの声があがりました。
そのシーズンはなんとか大島一郎取締役のポケットマネーのおかげで終えることはできましたが、翌年には理研工業の傘下に納め選手も理研工業に就職させ、球団名も産業軍と改めました。
選手は工場で勤労奉仕をしながら試合を行いました。
戦時下、野球選手も多く戦地に出兵しました。
石丸進一投手はプロ野球選手唯一、神風特別攻撃隊隊員として戦死を遂げています。
石丸氏には兄がいて当時一足先にプロ野球選手になっていましたが、その兄はすでに召集され中国にいました。
その中国にいる兄に血判を押した名古屋軍の入団志願用紙を送るほど名古屋軍に入りたかった石丸氏。
その熱意を受け取った兄が、当時の球団代表に推薦してくれ、ついに1941年入団となりました。
野球が続けたかった石丸は大学生ならば兵役から免れると知り、日本大学の法科夜間部に在籍していましたが戦況の悪化により大学生も学徒出陣で召集されることになりました。
1944年石丸は海軍飛行科を希望し、第14期飛行専修予備学生となり筑波海軍航空隊に配属になります。
1945年神風特別攻撃隊に志願という名の強制により特攻隊となりました。
学徒出陣からわずか1年。
終戦のわずか3か月前の1945年5月11日名古屋軍選手石丸進一は神風特別攻撃隊第五筑波隊隊員石丸進一として出撃し還らぬ人となりました。
特攻に出撃する前に同僚の本田耕一と10球のキャッチボールを行い、思い残すことなしと笑顔で言ったといわれています。
思い残すことだらけだったに違いありません。
血判を押してまで入りたかった名古屋軍でもう一度投げたかったはずです。
石丸進一はじめ多くの選手は何もかも胸におさめて戦地へ向かったことでしょう。
あれから70年たち戦争は遠く昔話のようですが、こうした選手がいたことを忘れてはなりません。
その激しかった戦争が終わり平和が訪れ球団名も中部日本として再出発しました。
1947年当時のオーナー杉山虎之助の干支辰にちなみ球団名を中部日本ドラゴンズに改称。
1948年現在の球団名中日ドラゴンズとなりました。
そうそう、忘れてはいけないのは山本昌投手ですね^^
ドアラの詳しい情報
闘志あふれる選手たちのプレーは勿論のこと、その人気を一役も二役もかっているのはチームマスコットのドアラといえるでしょう。
1994年からマスコットになり背番号は1994番。
マスコットの求められるかわいい仕草や愛されるべく態度とは違い自由奔放なその様子に人気が高まっています。
モチーフとされているのは名古屋市と関係の深いコアラです。
名古屋市はシドニーと姉妹都市で、コアラが初めており立ったのは名古屋の地でした。
1987年からウインドブレーカーにコアラのワッペンが付き、ホームラン人形もコアラをつかいました。
ドアラという名前はこのホームラン人形の名前でした。
華麗なバク転を披露していますが、2013年の左手中指骨折、2014年に右足首じん帯損傷し、シーズン真っただ中の夏場にバク転ができないことがありました。
これをうけ、ドアラはマスコット界ではじめて全労済のこくみん共済に加入した事でも注目をあつめましたが、翌年も半月板を損傷しています。
体を張ったパフォーマンスで観客を盛り上げてくれファンを楽しませてくれますがあまり無理はしないでほしいところです。
契約更改にも毎年注目があつまります。
ドアラの年俸は食パンの量で、その量が毎年取りざたされ笑いを誘います。
現代においても愛されているドアラ
2017年の契約更改はチームが最下位ということもあり20%減の推定600グラムプラス出来高払いとなりました。
この時の記者会見ではドラゴンズ=ドアラなので減俸やむを得ずの意思表示をしています。
ドアラは基本筆談となりますが、幾人とは直接話をするともいわれています。
ドアラには数々の著書、写真集もあり人気を博しています。
他球団のマスコットとも交流があり、東京ヤクルトスワローズのマスコットつば九郎とは同期でつば九郎がドアラにライバル意識をもっているようですが、基本仲良しです。
つれない態度のこともありますが、ドアラは優しさが滲んで出てくるタイプのマスコットです。
好きな芸能人は高田順次さんということ。
なんとなく納得してしまいます。
ブログやツイッターもしていて球団を広く紹介するという仕事もしっかりこなしています。
1994年に誕生したドアラは今やチーム一のベテランとなっています。
これからもその自由奔放さとドラゴンズ愛でますます頑張ってほしいキャラクターです。
中日ドラゴンズは名古屋軍であったころから、心からこのチームを愛する人々によりつながれてきた球団です。
戦火に倒れた先人たちもきっと今の平和なもとで野球ができ、ファンを喜ばせている現状を喜んでくれているはずです。
最終更新日 2025年6月27日